スターバト・マーテル 下の巻
「スターバト・マーテル」は、日本語で「悲しみの聖母」というのだそうだ。
パンフレットによれば、この曲に使われている詩は、13世紀のイタリアのヤコポーネ・ダ・トーデイという、何度聞いても絶対覚えられない名前の修道士が作ったんじゃなくね?と考えられているのだという。
13世紀といえば、日本の鎌倉時代だ。
詩に歌われているのは、磔にされ、苦しむイエスを見なければならない母親の気持ちである。
なんとも想像を絶するものがある。
そうして、この詩人は、イエスの苦しみ、母親の悲しみを自分に感じさせて欲しいと願うのである。
これは、繰り返し繰り返し出て来る。
こういう心の動きは、信仰に深くかかわっていることであるし、屁散人に詳しいことはよく分からない。
んで、これまたパンフレットによれば、ドヴォルザーク(あおばばばぁちゃんによれば、チェコではドヴォルジャークというんだそーだ)は、長女の死をきっかけにこの曲を書き始めたという。
2ヵ月半ほどでスケッチが完成したのだが、他の作曲に追われしばらく手をつけることが出来なかった。
2年後の1877年8月、11か月の次女が劇薬を誤って飲んで死亡、翌月には3歳の長男が天然痘で死亡、という連続、どん底の苦しみと悲しみにあったドヴォさんは、10月に作曲を再開、翌11月13日に完成させたのだという。
ドヴォさん、36歳のときである。
初演は完成の3年後の、1880年12月23日、プラハの音楽芸術家協会の定期演奏会だったそうだ。
1880年を年表でみると、明治13年。
俳句の正岡子規が13歳の時だ。
子規がこの曲を聴いていたら、どんなことを思ったのだろう。
曲は、ピアニッシモで、
ぴーーーーーーーー
という音(に聞こえる音)で始まる。
なんとも不思議な音である。
天地の間の水平線、あるいは地平線みたいな音だ。
音そのものの意味は、珍文漢文であるが、この出だしを聴いた時、なぜかベートーベンの第九の冒頭の音を思い出した。
何の関連もないのだろうけれど。
んでもって、この曲は全10曲からなっていて、アレグロで演奏されるのは、最後の第10曲だけなんだそーだ。
だからなんだよ、と言われても困るけど、困ったぁ♪
この演奏会は、武蔵野合唱団の第43回定期演奏会、と書いてある。
この合唱団には、以前「はじめてのクラシック」の時にお目にかかった。
団員は200名ほどらしいが、女声が圧倒的に多く、男声は女性の3分の1、ないし4分の1くらいだろう。
その男声は、ステージ正面の右側に位置しているので、指揮者の方に顔を向けている男声の顔が、屁散人からは真正面に見える。
そーすっと、前の方に立っている見覚えのある「あの人」の顔も真正面になるのである。
「あの人」は、俳句仲間のオーヒラさんにそっくりなので、前回見た時から忘れらず、密かにオーヒラさんと呼んでいる。
ちなみに、俳句仲間のオーヒラさんは、レコード会社に勤めていたし、演歌を歌わせるとピカイチであるから、オーヒラさん的顔は、分野は違うけれど、音楽に秀でているのかもしれない。
曲が始まり、男声の出番になると、オーヒラさんを始め、男声は、みな一斉に、、
激しい泣き顔!
になる。
これでもだっ!という位の泣き顔になり、感情と情熱のすべてをこめて激しく歌うのである。
女声だけ歌っているとき、あるいは出番のないときは、町のおじさんの顔に戻る。
男声出番では、ソロと一緒だろうが、女声とからみあっていようが、男声陣は大泣きなのである。
もっとも、少ない人数の男声陣は、このくらいの感情を籠めて歌わないと、圧倒的多数の女声に負けてしまうのかもしれない。
その点、女声陣は冷静である。
余裕の表情である。
自分自身が納得し、自分自身が最高の状態で歌っている、そういう歌い方である。
終始、聖母のごとき微笑みで歌ってる人もいる。
全体的にいえば、男声の嘆きを、アルトで多様性と深みを増し、ソプラノで昇華、天に魂を放つ、そんなイメージだ。
女声は、「天にも昇る気持ち」という表現があるけれど、まさにその通り、女声で歌われると、すーっと空に昇って行くような気持ち良さがある。
これは男声ではじぇ~ったい出来ないことではなかろうか。
ね、オーヒラさん。
またオーヒラさんに会いたい♪
最後の第10曲では、溜めて溜めて溜めておいたものがアレグロ爆発!
合唱の迫力に圧倒され、こちらも溜めこんでいたシッコが、つつーーっと太ももを流れ落ちて行くのを感じた。
鍛え上げられた人間の声の凄さ、である。
指揮者の左手が空中で止まり、曲が終わる。
静かに満たされた間のあと、左手がゆっくり下におろされると、
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
と観客席から激しい声がかかる。
すると、今度は、ステージの合唱団の方から、
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
ブラッ棒ーーーー!
と、観客席と舞台の上から、激しく、棒が飛び交ったのだった。
合唱団からのブラッ棒!は、指揮者、独唱者、オーケストラの団員に向けてと同時に、屁散人の美顔と美短脚に対する称賛だったのだろう。 ←違うね
女声陣の中には、目がしらを拭っている人もいた。
みんな、やるだけやったのだ、力を出し切ったのだ、歌い切ったのだ、という表情だった。
こういうことっていうのは、人生においてあまりないものだ。
そんな瞬間ってあったかな、って自分の来し方を振り返ってみても、屁散人には思いだせるものが、一つもない。
音楽は、こういう喜びの瞬間を見せてくれるんだな。
すべてが終わった後、
「アヤさん、んじゃ、屁散人がよく行く高級フランス料理店に行こかね」
「あらぁ、素敵ぃ~♡ 屁散人さんて、そんなとこ知ってるんですか?」
と、劇場を出ると、酔客が大騒ぎしている居酒屋へ突入し、ギョーザと焼き鳥で、粛々と乾杯を交わしたのでした。
(おわり・お疲れ様♪)
お体重セット(目標:朝の腹ペコ体重=64キロ 7月5日開始)
昨夜の満腹体重=67.3キロ(当初70.8キロ比 -3.5キロ)
朝の腹ペコ体重=66.3キロ(当初68.5キロ比 -2.2キロ)
第3弾 昨日のお貯め(日本国語大辞典購入!目標47,250円 8月31日開始)
お投入=229円~♪
ご累計=13,080円~♪
ようやく穂を伸ばしてきた屁見庵の庭の芒。
セイタカアワダチソウも黄色くなってきたよ。
2010-10-08 14:37
nice!(3)
コメント(4)
お庭にも、ようやく秋がやってきたようですね♪
by hirochiki (2010-10-08 14:46)
→hirochikiさん
あい、やっとこさですね~。
例年より10日ないし2週間くらい遅れてる感じです。
草刈りをしないと、中に入っていけませぬ。
プロパン屋さんが困りますね。
by 屁散人 (2010-10-08 15:50)
ドヴォジャークもこんな風に東洋の端っこで演奏されたと知ったら、なんと言うか?うれしいとは思うけど。
by あおばばばぁちゃん (2010-10-08 17:57)
→あおばばばぁちゃん
んだね~。
ドヴォちゃんも、かなり嬉しいと思うな。
んでもって、日本の音楽もなんか取り入れて作曲したんじゃなかろか。
すかそ、ドヴォちゃんの子供がこんな風に次々と亡くなったなんて知らなかったなぁ。
by 屁散人 (2010-10-08 21:18)