あらがはず
脇祥一の葬儀は、13~14日と行われた。
俳句関係の人がたくさん来てくれた。
14日は告別式の後、初七日をすませ、すぐに納骨となった。
そうして昨日15日は、俳誌『季』の定例会であった。
彼がいないことを確かめに行くようで、正直、気が重かった。
これは誰もが同じ思いだったのかもしれない。
当然ながら、いつもの席に彼は座ってはいない。
屁散人がいつも座っていた席には、すでに他の人が座っており、屁散人は、脇祥一の席に座らされた。
定例会の風景が一変し、見晴らしの良い展望台にいるような気がした。
いつもこんな風景を見ていたんだなぁ・・・
句会は、予想した通り、追悼句がたくさん出された。
屁散人も追悼句を作ってはいたが、それは一句も投句しなかった。
自分でも理由は分からない。
なんとなく、である。
死の前々日、前日と、彼は仲間たちと千葉へ吟行へ出掛けている。
その時の彼の句を主宰がまとめてくれた。
いくつか抜粋してみる。
風に色ふやして五月来たりけり
山藤につのりし風の吹きかはり
母の日や出すあてのなき旅葉書
鶏糞の臭ひ蹤(つ)きくる村薄暑
山杳(くら)くなるまで代田搔きやめず
地中にても筍の鉾天を向く
以上、5月9日。
竹落葉せせらぎのごと夜を流れ
うぐひすの声ひんやりと夏未明
筍の産衣一枚づつ剥がす
余り苗出番待つかに戦(そよ)ぎゐる
港朱夏大声飛ばし魚仕分け
浮くたびに濡れ刃光らせ五月海女
夏帽を欲しがる風にあらがひぬ
以上、5月10日。
この最後となってしまった吟行を、彼は満喫したようだった。
翌11日、すなわち死の日に句を詠んでないとすると、これが彼の生涯最後の作品ということになる。
屁見庵の庭に咲いたハルジョオン。今年はたくさん咲いた。
2010-05-16 05:55
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コメント(2)
しっかり落ち込んで、悲しみましょう。んで、そのうち元気だそう、そのうちに!
by あおばばばぁちゃん (2010-05-16 23:14)
→あおばばばぁちゃん
あい、もうダイジャブ!
いつもの調子で行きますわいな~♪
ありがとさん♪
by 屁散人 (2010-05-17 06:50)