いない日
昨日、主宰と脇祥一の家に行って来た。
司法解剖された遺体はすでに帰っていた。
顔はおだやかで、いつもの彼の表情だった。
声をかければ、目を覚ましそうだった。
ご家族の話によれば、11日、句会場へ向かうため、二宮から電車に乗り、次の駅の大磯の手前で倒れた。
異変に気が付いた計器会社の社員4人が、すぐに心臓マッサージをほどこし、大磯駅から病院に運ばれた。
病院でもマッサージが行われたが、12時25分、死去。
58歳の若さだった。
遺されたノート類には、われわれには判読不能の文字が几帳面に書かれてあった。
読もうと思っている本、あるいは気になった本だろうか、著者ごとにびっしり本のタイトルが書きこまれたノートもあった。
そして、意外なことに日記も残されていた。
大学ノートに縦書きである。
死の前日までそれは書かれていた。
そして、最後は、
五月十二日(火)
で終わっていた。
火曜日は「十一日」でなければならないところだが、どういうわけか、1日飛ばしている。
12日は、自分はもうこの世にはいない日なのだ。
27年ほどの付き合いになるが、脇祥一という男を知るには、時間がかかりそうだ。
この先、その存在の大きさを思い知らされることになるのは、間違いないだろう。
彼は『吉方(きっぽう)』(花神社・平成5年刊)という句集を一冊遺している。
その中から、いくつかあげておく。
冬空の紺より小鳥籠はづす
涅槃図の前へ押されてしまひけり
夜の秋父の眼鏡を母が掛け
忘年の酒水平につがれたる
頂上へ芒が芒押しゆけり
水飲んで棒のごとくに踊りけり
深吉野の花巡礼となりにけり
脇祥一の唯一の句集『吉方』。、屁散人が気に入っていた句を書いてもらった。
「泉にて金管楽器吹き鳴らす」
2010-05-13 06:14
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