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あ~春々


今朝は、何気にはみ毛に雲が多げ。

まっ黒な雲の間から、空が覗いてる。

風がややあり、屁見庵の雨戸を揺らしている。

雨戸を閉めているのは、2階のパソ屁屋だけで、ここは開かずの雨戸である。

っつか「開けずの雨戸」なのだった。

なんとなれば、パソは画面の背を西側に向けてあるので、西日が差し込むと、画面が貧しくて・・・眩しくて見えなくなるからである。

んだもんで、いちいち開けたり閉めたりするのが面倒で、閉め切りが閣議決定されたのだった。

ホントはね、開けておけば、随分と明るくていいんだけどね。

さてさて、屁見庵のヤブ椿は、つぎつぎと紅の花を咲かせ、地面にもたくさん花を散らしている。

隣の庭では、梅が咲き始め、ようやく春になったんだなぁ~♪っつ思いでいっぱいだ。 ←違うって!

梅といえば、ウグイスで、ウグイスと言えば、なんだぁ?

ま、いいや。

今年は、ちと梅が遅い気がする。

去年は、年末のも少し早い時期から咲き始めていたんじゃなかったけかな。

隣の白梅は、昨日、風呂場からちんち出して覗いて見た限りでは、4~5花。

そこは、日当たりがとてもよく、梅の隣にある椿も、屁見庵のより早く咲きだす。

当然、白梅も早い。

去年の今頃は、あふれんばかりに咲いていたと思う。

白梅といえば、


     しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり


っつ蕪村の句がある。


     冬鶯むかし王維(おうい)が垣根かな

     鶯や何ごそつかす藪の霜


とともに蕪村臨終3句のうちの一つで、蕪村は、天明3年12月25日にあちらへ旅立ったのだった。

旧暦では、12月は「冬」で、1月から「春」になる。

んだから、しら梅の句は、春を迎えようとする蕪村の気持ちを詠ったものと言えようが、12月25日といえばまだ年内。

年が押し詰まり、なかなかに慌しい時期である。

現在のような暖冬傾向がある時代と違い、当時は、梅の花にはちと早いかな、っつ感じがする。

ところがこの日を新暦に換算してみると、


     1784年1月17日


ということになって、ちと印象が変わる。

1月の半ば過を過ぎ、すかも暖地ならば、ちら~りほ~らり咲き始めてもおかしくはないのではないか、と思う。

蕪村が、実際にしら梅を見て詠んだ句かどーかは知らない。

すかそ、此岸と彼岸との間がだんだんとろけて消えてゆくような、そんなイメージがこの句にはある。

が、まぁま、そんなことはともかく、今日は、


     おシラス様!


である。

今年は、もう行くことはないだろう。

っつことは、1月1日から禁漁期間に入るから、来年の3月中旬までお預けだ。

午前10時半、京急三崎口駅集合だよ~ん♪

待ってまぁ~ちゅ♪

ちゅっ、ちゅっ、ちゅ~~~~♡

びろろんちょ♪




屁見庵・夕景 003.JPG

屁見庵から夕方の天空の街を望む。
マンション傾いてるなぁ・・・。レンズの歪みです♪





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